- 部下や後輩にどう指導していいかわからない。
- 新入社員にどう接していいかわからない。
- 人材育成ってなんだっけ?
こんなことでお悩みではないでしょうか?
この記事は、部下や後輩が初めて出来るビジネスパーソンに向けた記事です。
松下村塾でおなじみの吉田松陰先生のマインドを現代に落とし込んでどのように人材育成をしていくのか?を考察します。この記事を読み終わる頃にあなたが人材育成を上で忘れてはいけないマインド理解することができます。
それでは最後までおついあいください。
目次
吉田松陰先生に学ぶ新入社員との接し方
という流れで吉田松陰先生のマインドをインストールすることにしました。
吉田松陰先生の凄さ
吉田松陰先生といえば日本人であればほとんどの方は知っていると思います。
本当にたくさんの偉業や面白エピソードがある先生ですが、今回は主な実績を一つだけお伝えします。
吉田松陰先生が萩で運営していた松下村塾(運営期間2年半程度)から偉人がたくさん輩出された!
これが主な実績といえます。
松下村塾が出来たのは吉田松陰が黒船に乗り込んだのきっかけ
ペリー来航のあの黒船に乗り込んだ罪で野山獄に入れられたのちに萩に帰され松下村塾を開いた。
元囚人が開いた塾。
しかも萩の田舎。
そんな中で後述する偉人は数多く輩出している。
松下村塾が輩出した偉人達
二人の総理大臣をはじめ、幕末から明治の激動期において国家の体制を築き上げた多くの逸材を輩出しました。
なぜ松下村塾からこんなにも多くの逸材が生まれたのか?
松陰先生の教育のスタンスは
私は教えることはできませんが、一緒に学ぶことが出来ます。ともに励みましょう。
こんなスタンスで松陰は人を育てた。
このスタンスを裏打ちするエピソードが野山獄時代の松陰のエピソードである。
全ての人から教えを請う松陰先生
野山獄といういわゆる牢屋での有名なエピソードがある。
野山獄は牢屋ではあるけれども、幽閉されたお金持ちのちょっとカジュアルな牢屋でした。
みんな刑期は特に定められておらず、ただただ時間が過ぎていくのを待つだけの施設でした。
そこで松陰先生はダラダラ過ごすのも勿体無いから。っという理由で本を読みまくる。
しかも、感動したら大声で泣くわめく。
そんなことをしていたらある日囚人仲間から声をかけられる。
どうしたの?どんなお話なの?
そこで松陰はほんの話や今まで遊学してきた話をみんなにする。だんだんとみんなと仲良くなる。ここで冒頭のスタンスが発揮される。
ともに励みましょう!
自尊心も何もない人に書道を習ったり、詩を習ったり、毎日囚人の誰かが先生になって講義をするようになった。
そうするうちにみんなが看守も含めてカルチャースクールを開き楽しく高め合いながら最高の雰囲気の牢屋が完成した。
新入社員に学ぶことを尊重してお互いに高め合いましょう!
という精神でこれから仕事をします。
まとめ
いかがでしたか?
吉田松陰先生。
本当に魅力的な方ですねー!!
こんな人格者になりたいものです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ポッドキャストにレビューをもらえるとかなり喜びます。
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